オートバイの歴史

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オートバイはフランスのエンジニアであったルイ-ギヨーム・ペローにより発明され、蒸気機関エンジンが搭載され1868年に特許を取得しました。これがオートバイの原型となっており、当時では画期的な発明で1873年ウィーン万博にも展示されたほどです。

初期は蒸気機関で開発されたオートバイですが、現代のオートバイ直系の原型となっている内燃機関エンジンを搭載したバイクは、1885年ダイムラー・クライスラー社により開発されました。そして現代でも超人気のオートバイメーカーである「ハーレーダビッドソン社」を設立した、ウイリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンという二人が1903年にそのモデルの原型となるバイクを製造しました。

日本では1906年に島津楢蔵が作ったNS号が初の国内産オートバイとなっておりますが、当初国内では輸入車が中心でオートバイの利用自体も少ないという状況でした。世界的に見ても一般にオートバイが普及して来だしたのは1920年代に入ってからで、馬車に変わる『乗り物』として普及が進んできました。1930年代に入ると現在の宮田工業がアサヒ号を発売、ハーレーも輸入され三共から『陸王』という名で発売、この頃から日本のオートバイ事情もどんどん活発化していきました。

そして活発化の大きな節目となったのは太平洋戦争で、その終戦後に軍事機器を製造していた会社が方向転換を余儀なくされオートバイ製造という新事業にこぞって参入してきました。これがその後の大普及のきっかけです。富士重工(当時富士産業)のラビット、中日本重工のスクーター、目黒製作所のメグロ(後にカワサキに技術移転)、東京発動機のトーハツ、本田技研工業のモペット(カブの原型)など様々なオートバイが発売され人気を呼びました。

その後、並列多気筒エンジン搭載の高回転高出力エンジンが開発されサーキット界等でホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキとしのぎを削り、オートバイはどんどん高性能化されていきました。しかし自動車が一般庶民への大普及につれ、オートバイ人口とオートバイの売り上げが減少していき、現代では移動手段の乗り物としてというよりも『趣味としての乗り物』のいうあり方になってきました。しかしオートバイはビジネス分野の一部でも大躍進しバイク便や救急バイクなど、現代の社会になくてはならないものとなっております。


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